――舞台は、とあるビルの清掃スタッフ休憩室。
田中キヨコさんは清掃の仕事を始めて3年目。持ち前の明るさとよく笑う性格で、あっという間に現場の人気者になった。
今日は、汚れの科学に詳しいDr.ウッディが来るということを聞きつけて、日ごろの「なんで?」をぶつけてみることにしたらしい……。
すべての清掃作業の出発点
ねえねえウッディさん、ちょっといいですか?前から不思議だったんですよ。同じ洗剤を使ってるのに、場所によって落ち方が全然違うんです。私まだ3年目なんですけど、毎回「なんでここの汚れは取れにくいの〜!」って一人でツッコんでて。
田中さん、それすごく大事な疑問ですよ。その「なぜ?」に答えてくれるのが、「汚れを知る」という考え方なんです。
汚れを知る、ですか。やだ、汚れなら毎日イヤってほど見てますよ。自分の顔より見てるかも、あはは。
あはは。でも今日お話ししたいのは「科学の視点」からなんです。実はビルクリーニングには5つの原則があって、「汚れを知る・建材を知る・洗剤を知る・作業方法を知る・保護膜を施す」 ― この5つなんですね。
へえ〜、そんなにちゃんと決まってるんですね。知らずに3年やってました、私ったら。
その中でも「汚れを知る」が、すべての清掃作業の出発点なんです。汚れの正体が分かると、なぜその道具を使うのか、なぜその洗剤なのかが腑に落ちて、現場の判断がぐっと楽になりますよ。
なるほど〜。やる気だけは誰にも負けないんで、理屈もちゃんと覚えたいです。ウッディさん、よろしくお願いします!
第1節 汚れってそもそも何?
まず大前提なんですが、「汚れとは何か?」って改まって聞かれると、説明しづらくないですか?
たしかに!「汚いもの」としか言えないですよね。改めて聞かれると困っちゃう。
科学的に言うと、汚れとは「本来そこにあるべきではない物質が付着した状態」のことなんです。だから清掃というのは「本来あるべき状態に戻す」作業。田中さんがやってるのは、まさにそれなんですよ。
やだ、なんか急に立派な仕事に聞こえてきました!もっと早く言ってくださいよ〜、毎日胸張って通勤できたのに。
いやあ立派ですよ、もちろん。それで、汚れは大きく3つの視点で分類できます。一つずつ説明しますね。まずひとつ目の視点が「起源による分類」 ― どこから来たか、です。これは人為的な要因と、自然的な原因に分かれます。
起源による分類
どこから来たか。人為的な要因と自然的な原因に分けて考えます。
物質の性質
酸性・アルカリ性・中性。洗剤選びにつながる重要な視点です。
付着のしかた
どのようにくっついているか。時間による変化にも注目します。
人が出す汚れと、そうじゃないやつ、ってことですか?
そうです。人為的なものは、まず「人由来の汚れ」。皮脂、汗、手垢、唾液など。それから「生活・使用由来の汚れ」。食べこぼし、飲み物のシミ、調理の油煙、衣類の繊維屑、靴裏が持ち込む土砂などです。
あ〜それなら毎日お世話になってます。床の黒ずみとかね、もう顔なじみですよ。
その「顔なじみ」感覚、大事ですよ。自然的なほうは「環境由来の汚れ」。埃、排気ガス、花粉、粉塵、砂、カビ、衛生害虫など。それと「建物由来の汚れ」。結露による水溜まり、金属のサビ、コンクリートから出てくる白い結晶などですね。
えっ、建物そのものから汚れが出ることもあるんですか?建物さん、自分で汚れちゃうのね。
そうなんです。で、次の2つ目の視点が、僕は一番大事だと思っています。「物質の性質による分類」 ―つまり、酸性・アルカリ性・中性です。
うっ、理科の匂いがする…。私その辺、学生のころから逃げ回ってたんですよ〜。
大丈夫です、シンプルですから。汚れには「酸性の汚れ」「アルカリ性の汚れ」「中性に近い汚れ」があって、原則として反対の性質の洗剤を使うと落ちやすい。これを「中和」と呼びます。これだけ覚えておけば、今日の話はほとんど繋がります。
例えば、手垢や換気扇の油は「酸性の汚れ」、水アカやトイレの尿石は「アルカリ性の汚れ」なんです。
反対の性質をぶつける、んですね。今まで「落ちなかったらより強い洗剤を持ってくる」一択でした。頭を使ってなかったな〜。
でもその勘、実は理にかなってる部分も多いんですよ。あとで答え合わせしましょう。最後、3つ目の視点が「付着のしかた」 ― どのようにくっついているか、です。
これは分かります!新しい汚れはサッと取れるけど、古いやつは手ごわいんですよね。粘られると逆に燃えるんですけど。
まさにそこです。時間が経つと汚れが表面に「なじんで」固着するんです。汚れ自身が時間と共に変化する場合もあります。例えば液体だった油は、時間が経つと変質して、ただの油より取りにくい「固化した油」に変わってしまう。だから早めの対処が効くんですね。
放っておくと手ごわくなるのは経験として分かってましたけど、そういう理屈だったんですね。へえ〜、賢くなった気分です!
汚れの「重なり」に注意する
今度は僕から田中さんにお聞きしますが、「この汚れにはこの洗剤」って当てはめれば、いつもきれいに落ちますか?
それがですね、そう簡単じゃないんですよ。教科書どおりにいかないのが現場のいじわるなとこで。
まさにそこなんです。科学的にも、現場では汚れが単独で存在することはほとんどありません。埃の上に油が乗って、その上にまた埃が積もる ― そういう「多層構造」になっていることが多いんです。
わあ、ミルフィーユみたい! おいしくないミルフィーユですけどね。…で、だから洗剤が効かないんですか?
そうなんです。上の層から順番に対処しないと、洗剤が下まで届かなくて効果が半減します。たとえば、お風呂掃除。外側に積もった石鹸カスを先に取り除かないと、カビ取り剤がカビに接触できないんですよ。
「洗剤塗ったのに落ちない!」ってやつ。あれ、洗剤くんのせいじゃなかったんですね。ごめんね洗剤くん。
そうですね、順番の問題ということも多いんです。洗剤を疑う前に、層を疑う。田中さんが「なんか変だな」と感じてたやつ、これで説明がつくと思いますよ。
汚れのミルフィーユだったのかあ。
そ~いうことだったのね。層だけに。なんちゃって!
SECTION 01 / SUMMARY
第1節 まとめ
- 汚れは「起源・性質・付着の強さ」の3つの視点で整理すると理解しやすい。
- 汚れの性質(酸性・アルカリ性)を知ることが洗剤選びの基本。
- 現場では汚れが重なっていることが多く、上層から順に対処するのが大切。